【目次】
挨拶とはじめに
こんばんは、流手と申します。
前回に続いて蠣崎家を攻めていきます。
続日本100名城やら道南十二館やら色々と知らぬ単語が飛び交いますが、あぁ、あれね、とそのうち余裕で反応出来るようになりたいものです。まぁ、当面は難しいのでしょう。
とりあえず、一周するうちに十城ほどは覚えたいですな。
過去の記事はこちら
プレイ開始
徳山館攻略戦
北海道、もとい蝦夷へと向かいます。そういえばこれより北の地はアイヌ領ということなのでしょうか。あまり意識したことがないといえばないのですが、アイヌ関連は大体登場せずですね。
徳山館とは
もともとは室町時代に安東氏が築いたものらしく、当時は『大館』と呼ばれていたよう。『コシャマインの乱』にて落城するも、蠣崎氏二代目の蠣崎光広が勝山館から移った際に改修し、徳山館と命名されたようです。
前回紹介した『茂別館 』と同様に『道南十二館』に入っていますね。現在は徳山館があった場所に『徳山大神宮』が建てられているということです。道南十二館は全て観光地として見られるのでしょうか。
コシャマインの乱とは
Wikipediaによると、1457年で起きたアイヌと和人との戦い。
和人の鍛冶屋とアイヌの客との間に起こった価格と品質でのいざこざが引き金となって起こった戦いのようです。なんでも、鍛冶屋が客を刺殺したとかなんとか。和人は安東家との情報も。
1456年(康正2年)に発生したこの殺人事件の後、首領コシャマインを中心にアイヌが団結し、1457年5月に和人に向け戦端を開いた。胆振の鵡川から後志の余市までの広い範囲で戦闘が行われ、事件の現場である志濃里に結集したアイヌ軍は小林良景の館を攻め落とした。アイヌ軍は更に進撃を続け、和人の拠点である道南十二館の内10までを落としたものの、1458年(長禄2年)に武田信広によって七重浜でコシャマイン父子が弓で射殺されるとアイヌ軍は崩壊した。
道南十二館で残ったのは、『花沢館』と『茂別館』のようです。
一年ほどで鎮静化したものの、これによりアイヌへの和人支配がより一層強くなったのは言うまでもないはず。
制圧
迎撃に出てくる長門広益隊を撃破。
細やかながら、武勇に優れた人物であったという情報も出てきました。この辺りの武将は少々上級者向けな印象です。
徳山館陥落。
これで蝦夷は南部のものに。
所属武将は四名。
意外と少ない。
とりあえず、委任軍団に任せて今後は南をみていきましょう。
さて、今回はここまで。お疲れ様でした。
滅亡
本山家
浅利家
松浦家
古川足利家
里見家
肝付家
相良家
宇都宮家
田村家
蠣崎家
那須家
白河家
今回もまた派手に勢力が減少しました。島津、北条、伊達が拡大していますね。
我ら南部も蠣崎家を滅ぼしておりますので、北の方もそれなりに纏まってきたのではないでしょうか。北条の侵攻が特に速いか。
一応最後に滅亡国をリストアップしておきますと、
- 本山家
- 浅利家
- 松浦家
- 古川足利家
- 里見家
- 肝付家
- 相良家
- 宇都宮家
- 田村家
- 蠣崎家
- 那須家
- 白河家
こんな感じ!
まとめ
コシャマインを始めとして、なかなかに記憶にない単語が当たり前のように湧いてきます。シャクシャインしか知らんと思うけどなぁ。有名な戦いのようです。
あれやこれや調べながら進めるのも楽しいですが、あまりにも知らなさすぎてそれはそれで悲しくなる部分も。武将にしてもほとんど知らぬわけですもの。
マニアックなのか、常識なのか。果たして。
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