【目次】
挨拶とはじめに
こんばんは、流手と申します。
南部家編の続きです。今回は浪岡家を攻略していきたいと思います。
序盤は少しでも戦力を増やしておきたいので、落とせそうなところは早めに落としてしまおうという算段です。従属でもいいですが、一度巨大勢力が形成されてしまうと手も足も出ない状況へとなりかねないので、その点は頭の片隅には置いておきたい。
さて、それでは新天地での侵攻開始といきましょうかね。
過去の記事はこちら
プレイ開始
浪岡御所攻略
さて、初戦は浪岡家に仕掛けていきます。この序盤では特にややこしいことはありません。迎撃に来たところを挟撃して落としてしまえば後はこちらのペースというわけです。
委任軍団との共闘で包囲を固め、後は降伏を待つのみ。
浪岡とは
そもそも浪岡家とは、というか『浪岡御所』とはなんなのか。
かつて南北朝時代に、北畠顕義とう人物がいたらしい。彼は楠木正成や新田義貞らと二度に渡り足利尊氏を撃退したというのだが、その北畠顕義が浪岡御所に移ったということのようです。ちなみに、別名で浪岡顕義という。浪岡北畠家4代当主。
少しだけ調べてみると、よもや浪岡よりも北畠として出てくる資料もあるのでややこしい。北畠の流れを汲んでいるのは承知であるが、私としては今一つピンと来ていないのですわ。結局どっちなの。
そしてまた、今まさに攻略中の浪岡家ですが、やはり南部家に保護されていた時期もあったようです。
1562年に川原御所の乱という内乱により勢力が衰退し、 大浦氏だか津軽氏だかに滅ぼされたようですね。結局大浦なの津軽なの、どっちなの。
続日本100名城
浪岡御所(浪岡城)を調べておりますと、続日本100名城という言葉が出てきました。少し気になりましたので『公益財団法人 日本城郭協会』を調べてみますと、こんな文章が見つかりました。
2017年は日本城郭協会が財団法人となって50年周年を迎える記念すべき年です。40年周年を記念して選定した「日本100名城®」が国内において広く「城への関心」を高める原動力となったことに倣い、50周年を記念に「続日本100名城」を選定することを決め、2016年より準備を始めました。選定基準は「日本100名城」とまったく同じで、協会会報やホームページで推薦要項を公開し、会員、日本100名城登城達成者を始め、広く城郭ファンに推薦を呼びかけました。この結果を基に協会が委嘱した城郭専門家6名からなる選定委員により平成29年3月、以下の100城が選定され、4月6日「城の日」に文部科学省記者クラブにおいて小和田哲男選定委員長より発表されました。
選定の基準は以下の3点です。
(1)優れた文化財・史跡であること
(2)著名な歴史の舞台であること
(3)時代・地域の代表であること選定委員は以下の6名の方々です。
選定委員長 小和田哲男(戦国時代史/静岡大学名誉教授)
選定委員 千田嘉博(城郭考古学/奈良大学教授)、三浦正幸(城郭建築史/広島大学大学院教授)、中井均(城郭考古学/滋賀県立大学教授)、田中邦煕(地盤・基礎/土木学会フェロー)、加藤理文(織豊期城郭史/袋井市立浅羽中学教諭)
公益財団法人日本城郭協会より
ということのようです。
折角ですので、同サイトで紹介されておりました続日本100名城も紹介しておきましょう。
/北海道・東北地方/
/関東・甲信越地方/
茨城県
栃木県
群馬県
埼玉県
千葉県
東京都
神奈川県
山梨県
長野県
新潟県/北陸・東海地方/
富山県
石川県
福井県
福井県・滋賀県
岐阜県
静岡県 諏訪原城(146)
愛知県 古宮城(150)
三重県/近畿地方/
滋賀県 八幡山城(157)
京都府
大阪府 (160)
兵庫県 出石城・有子山城(162)
奈良県 宇陀松山城(166)
和歌山県/中国・四国地方/
鳥取県
島根県
岡山県
広島県
山口県
徳島県
香川県 引田城(177)
愛媛県
高知県/九州・沖縄地方/
福岡県 久留米城(183)
福岡県・佐賀県
佐賀県
長崎県
熊本県
大分県 臼杵城(193)
宮崎県
鹿児島県
沖縄県注:続日本100名城スタンプについて
続日本100名城の公式ガイドブックに記載の「関連施設」はスタンプ設置場所ではない場合があります。ご注意ください。
年末年始などは押印できない場合がありますのでご注意下さい。
休業日や営業時間外はスタンプを押印できませんのでご注意下さい。
有料管理地区にスタンプ設置がある場合は無料で押印を求める等の行為はご遠慮下さい。
スタンプは原則スタンプ帳に直接押印して下さい。(スタンプ管理者が別紙で配布しているものは例外とします)
公益財団法人日本城郭協会より
どうやら私も二ヶ所ほどは行ったことがあるようでした。もちろん、それとは知らずに。お祭りとかやってるところもありますよね。
御所制圧
何だかんだ言っている間に御所制圧。
南部晴政さんちょっと格好良すぎやしませんか。
ちなみに浪岡の最盛期は第7代当主具永の時代だといわれているらしい。……いますね。
なんとも保守派が多いこと。とにかく人員が欲しいのでドンドン登用していきましょう。
現在の勢力図。
我らが南部家の位置はおわかりでしょうか。現在の青森県辺りを治めております。
浪岡御所などの名所もございますので、近くにお越しの際には是非ともお立ち寄りくださいませ。
滅亡
少弐家
二階堂家
浪岡家
神保家
相馬家
今回滅亡した勢力はこちら。
- 少弐家
- 二階堂家
- 浪岡家
- 神保家
- 相馬家
浪岡はもちろん我が南部が仕留めております。また近場ですと、二階堂、相馬を滅ぼした伊達がいますね。この先どう勢力を拡大していくか見物です。よもや我らが南部へと侵攻してくることはないでしょうなぁ。
まとめ
今回は少し脇道へ逸れお城を調べることとなりましたが、なんだかいいですねぇ! 楽しくなりました。
大阪城だけは頻繁に見ていますがじっくりと回ることはほとんどありませんので、これを機にカメラを手に散策してみるのも楽しいかもしれません。ただ、それもコロナ騒動が落ち着いた後かな……。
お城巡りも楽しそうですが、移動を楽しめるかがポイントとなってきますよね。なかなかそれが難しいのよ。10年後くらいまでにまた考えときますかな。