【目次】
挨拶とはじめに
こんばんは、流手と申します。
さて、一歩ずつという感じで歩みを見せている南部家ですが、少しずつ強大な勢力の影が見え隠れするようになって参りました。決戦の日が近いのかは未だ不明ですが、今は少しでも領地を増やしていくことを優先として進めて行きたい。
端を押さえてからの出発とは、また普段と違った感じで新鮮ですね。眼前の細々とした勢力は積極的に取り込んでいきまっしょい!
過去の記事はこちら
斯波家攻略戦
雫石御所
侵攻
久しぶりに開戦モードを楽しんでみます。
これがあれば楽勝でっせという人もいるのでしょうが、私はそんなに有利となる采配は出来ず。攻城が楽になるので、むしろ余裕があるときに行う程度です。少なくともVitaでごちゃごちゃやるのも億劫でもありますし。このあたりはPCがいいなと思います。
陸奥葛川衆も続々と後押しに来てくれました。
特にややこしいこともなく雫石御所を制圧。いかに序盤に攻めるかがポイントですよ。知らんけど。
雫石御所とは
またの名を滴石城。『雫石御所』と呼ばれるようになったのは、斯波氏になってからということ。少しややこしいですね。この手の話は苦手なのかもしれない。現在でいう岩手県にあった城であるということです。
なんでも、南部領であったと思われる滴石に斯波詮真が入って、そこで彼は『雫石詮貞』と称し、『滴石』を『雫石』に改名したというらしいのですが、まぁピンと来ていないわけで。まぁ、御所ということはきっと位の高い人が関係していますよね。ということは、斯波氏は位が高かったということでしょうか。私にわかるのはそれくらい。
高水寺城
またもや合戦へ。
もはやセオリーやらハウツーやらは記憶の彼方。適当。
とりあえず挟撃できたらするようにしてます。
無事勝利。
高水寺城。
ここを落とせば斯波家は滅亡します。さぁ、一息にやってしまいしょうか。
高水寺城とは
さて、高水寺城とは、『こうすいじじょう』と読むようですね。紫波町の指定史跡のようですね。
ちなみに『史跡』とは、
日本の文化遺産保護制度の体系における「史跡」とは、文化財の種類の一つである記念物のなかで、貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡に該当するものの中から、歴史上または学術上価値が高いと認められ保護が必要なものについて、国が指定を行ったものである。
うーむ、勉強になりますねぇ。
さて、この高水寺城ですが、斯波詮直の居城であったようです。後に南部の居城ともなり、『郡山城』と改称していた時期もあるそう。どちらかといえば郡山城が現在だと正しいのでしょうか。
尚、現在城址は『紫波町立城山公園』として公園となっているとのこと。紫波町は『しわちょう』と読むのですね。『しば』と読んでおりました。岩手県へお出かけする際には是非とも立ち寄ってみたいものです。
制圧
斯波詮直はいませんね。
斯波詮直とは
折角ですので、斯波詮直についても調べておきましょう。
するとどうやら今回の大将の斯波経詮の孫にあたるようですね。そうか、世代が違ったわけですね。ちなみに、高水寺斯波氏の最後の当主であるとのこと。
こうなってくると理解が難しいのですが、斯波氏は足利氏一門の中でも名門であり、足利将軍に匹敵する家格を有したらしい。ちなみに、高水寺斯波家は傍系である。
1588年に南部信直の侵攻を受けて敗れ、これにより高水寺斯波家は滅亡することとなる。
Wikipediaばかり見ているのもなんですが、『有能ではなかった』やら『遊興に耽って政務を顧みない』やら色々とややこしい人であった感じがしておりますな。蹴鞠とかやってたんでしょうか。
滅亡
岩城家
斯波家
小野寺家
戸沢家
さて、今回の滅亡家です。
- 岩城家
- 斯波家
- 小野寺家
- 戸沢家
もちろん、斯波家に関しては我が南部が制圧しております。伊達が拡大気味かしら。
ということで、今回はここまでにしておきましょう。
まとめ
一応軽くは調べて書いておりますが、正しいかは不明ですので知り合いに話したりすると『全然違うっつーのー』とつっこまれる可能性も大いにありますので、その辺は気を付けるようにお願いしたい。また、そうなった時には『歴史を見てきたわけ?』と逆ギレしないように心掛けましょう。皆仲良し。
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